いづれ会おう

実際に現場を自分の目で見て、
・・・在る程度
覚悟が決まった感がある。


結果、
自分が関わるひとやもの、
守りたいと思うものは、
少ない方がいいという、
従来通りの結論に。


己が消滅した時に、影響が少しでも小さい方がよい。


私、という個ではなく、
戦力という「数や量」として、在れるだけ在ることをこそ、
選んだ道なのだと。



根底にスネオヘアー{さらり}があっても、
ストレイテナー{CRY}が、往く道であり、
結果、bonobos{あなたは太陽}で在れるように。
たくさんの音楽と小説と、映画と絵画と、
関わってくれた様々な方々と。


在る程度、価値観が固まったあとに、
出会うべくして出会ったひととは、
もうなにがあっても、共に往くだけ往く、のだろうなと、おもいます。
そういうひとらに出会えたことは、本当に奇跡的で、
ありがたいことであります。


揺るぎやすい自分を、
間接的であろうが、肯定してくれている、
その、存在自体に、感謝したい。


悲しませる数は、少ない方がいい。
救える命が、ひとつでもあればいい。
それでいい。


たくさん想い残しがあった方も、
納得づくで逝った方も、
訳が解らないまま、連れ去られた方も、
もう、
生きてる俺らに、全部預けて、明るい方へ、いかれてください。
頼りないかもしんないっすけど、
やれるだけ、やりますから。


生きている価値は、誰にも決められないけれど、
他者の命や幸福を犠牲にしてまで、
在って良いものではないのは、
ひととして、最低限のことだろうとおもう。
たとえ、守りたい、最たるものがあっても、だ。



おれにかぎっていえば。




みな、必死で生きる。
だから、逝ってください。
どうか。
きっとひとは、
たくさんを失っても、
何かを見つけて、それを糧に、それに向かって歩みを進められる生き物だから。
それぞれが、それぞれで、模索して戦って、どうにかしようと、見つけるはずだから。


願わくば、
それが、後の世を生きる子らに、負担になりませんように。