harikona2012-11-06

縁あって、
東日本大震災の被災地にて、
農作業とゴミ拾いの
お手伝いをしてきました。


もっと早くに行くべきだったのですが、
どうにも・・・決心がつきませんで。
情けないことですが、
現地に行かなければいけないと、
わかってはいても、
実際に向き合う
・・・勇気もありませんでしたし、
どうするのが最善なのかが、わからなくて。


やっと、一年以上経って、
重い腰を上げた次第です。
お恥ずかしいです。



体験された方のお話を伺いましたが、
もう、言葉を失うばかりでした。
己の無力さと、
生きていること自体の巡り合わせの奇跡を、思わずにはいられません。
できることなど、
ほんの少しです。
大きなものを手にし、操作できていると思うのは、
同等以上に、大きな勘違いなのです。
地球の上っ面に間借りしているだけです。人は。
だからこそ、生きながらえるために、
必死にならないと、いけないのだと。
ほんの目先の私腹のために、それを蔑ろにするのは、
己の寿命を、家族との安らぎの時間を、失うのに他ならないのだと。


まず己が生きること。
はぐれてしまった家族や友人とも、生きていればいずれ巡り合う。
有事の時は、己の命を最優先にすること。
そして、救う術を身につけておくこと。
簡単なことでいい。
少しでも、皆と一緒に進むために。



分別され、山になった瓦礫の山・・・もとは皆さんの住まいや職場だったものです。
それが、未だ、処理されず、雑草が生えていることに、愕然としました。
淡々と、建物だった基盤だけが見える、更地ともいえない、空虚な場所。
繁華街だと、説明を受けましたが、
まるで想像がつかないくらい、何もなくなってしまった。
そのところどころに、ぽつん、ぽつんと、
燃えた校舎や、壊れた堤防が、解体されずにそのまま、時が止まったように佇んでいる。
全国のボランティアの皆さんのマンパワーでは、どうにもならない時期にきています。
深い知識と思慮と、大きなお金をしかるべき場所に投入する、
その段階にきているのに・・・。
地方自治体にその体力はありません。
国が、指針ではなく、力を直に投入しないと、何も動いていかない。
それぐらい、ひっ迫しているのに。
何故、こんな簡単なことが、見えないのでしょう。


同じ職業のひとたちが、職務を全うしようと、
必死でおられたところにも、連れて行っていただきました。
半数の方が亡くなったと聞いて、無念でなりません。
同じ立場として、
死ぬかも知れなくても、そこに居ざるを得なかったのだ、ということを、
そして、それが、あまりにも多くの人に理解されていなかったのだということに、
ほんの少し、虚しさを覚えました。
私たちは、皆、わかっておりますので、どうか、安らかにおらっしゃっていただきたい。
我々も、できるかぎり、最善をつくします。




これはあまり言いたくないことではありますが、
やはり記しておきます。
ボランティア、という言葉に酔っているだけで、
人の気持ちを慮れない輩が、こんなに多いとは思いませんでした。
繋がりが実を結ぶ話を、
地元の方や、実際動いているNPOの方々にたくさん聞かせていただいたから、
みなさん、真剣に取り組んでらっしゃるんだと思います。
ですから、私がみた人たちは、
ほんの、ほんの一部の不心得者だと思いたい、です。


特定の人に対して怒りを覚えることは、滅多にないです。
そしてそれは、かなしく、虚しいことです。
こんなにかなしいきもちは、久しぶりです。
国や企業のような大きなものに怒りを感じるのではなく、
この人らとは完全に相いれないとシャットダウンせざるを得ないのは、しんどいです。



たまたま作業がご一緒だった関東の方にうかがったところ、
その方の職場では、もう過去のことになっている、ということ。
話して聞かせても、報道されないから感心が向かないようなのです。


何も・・・終わってもいないし、始まってもいないのに。
どうしたらみんながほんのりおだやかに過ごせるのでしょう。



たくさんの方たちが、まるで落ち着かない仮設住宅に住みながら、
家族や同僚や友人を亡くした現場を通って職場に向かったり、用事を足したりしています。
そこも、仮設の学校であったり、まったく違う仕事だったりしているのです。
この、不安定さたるや。
もう、私には何も言う資格はありませんし、
ただ涙が流れてしかたないです。
命からがらのがれて、家族を失って、4ヶ月も狭い体育館等で避難所生活をして、
やっとの思いで仮設住宅に越した。
もう今は、正直何も考えたくない。
そう、ある方はおっしゃっていました。


津波が引いた時、町の一番大きな川の水が、無くなったそうです。
道路のフェンスも、海側に倒れていました。
どれだけの強い圧だったのでしょう。
ご遺体が見つかっていない方が、まだたくさんいらっしゃいます。
ご家族のもとに、還ってきてくださるとよいのですが。



実際にいってみないとわからないことが、本当に多い。
その分、自分に対する無力感が増しますが、
一度、どんなことが起きているのか、見ていただきたいと、切に願います。



何も、終わっていませんし、始まってもいません。



それでも、くやしいく悲しいことばかりではありませんでした。
想像以上にたくさんのボランティアの方々が、全国各地からいらっしゃっていました。
月に1度は来ているという東京の方と一緒に作業をしました。
そのボランティアの方々と話をするだけでも、うれしいもんだよ、と、
地元の方に言っていただけました。
新しい家や、お店も建ち始めていますし、
子供たちが元気に走り回っている姿も見られました。
地元の方々からは、ここで、生きるのだ、という、強い力を感じました。


やれることを、必死にやるしかないのだ。
その想いをまた改めて強く想いました。
常に、意識に留めておくこと。



魚介をたらふくいただきました。
むっちゃくちゃおいしかったです。


三陸の海は、驚くほど美しく朝日を照り返していました。