死と孤独と

harikona2009-09-16

ビートルズをかけながら、
晩御飯を作っていると、
後で母が歌っている声。
当時、
母の姉が買ってきたLPを
一緒に聞いていたそうだ。
それこそ、
武道館でやった頃に。


母の姉、私の叔母は、
10年前に、
ガンで亡くなった。
52歳という若さだった。
ガンだということ、
そしてもう切除する術がないほど手おくれだ、ということがわかってすぐ、
母と叔母と、もう一人の叔母、そしてあたしが引率という格好で(笑)
名古屋と東京へ遊びに行った。
あの時の、楽しい気持ちと、
もう二度と、こうやって4人で旅をすることはないんだ、という、
どうしようもないほどのやるせなさが入り混じった気持ちは、
隅田川の屋形船から、東京の町を眺めた風景とともに、
心の底に、しん、と染みついている。


ジョンが亡くなったのは、
あたしが5歳の頃。
彼は40歳。


昨年のジョンレノンスーパーライブで、
ジョンのことを思い出しヨーコさんが思わず言葉につまった瞬間。
亡くした痛みは、今も心に生々しく刻まれている。
その痛みが、彼女の涙とともに、
とても、とてもリアルにあたしにも感じられた。
同情ということではなく、同じ痛みとして。
わかった風な口をきくな、と言われる方もいるかもしれないが、
あの場の空気の密度は、それだけ尋常ではなかったということだと、思う。
オノヨーコという人の存在と、ジョンのうたと。
ジョンとジョンのうたを愛する人たちの想い。
それだけしか、あそこにはなかったから。



先日のあっこちゃんのライブで、
キヨシローさんのことをうたった{キヨシちゃん}が演奏されたんだけど、
(とても愛にあふれた、素晴らしいうただった)
その時のMCで、
「みなさん、私が生きてるうちに、
こうやってライブに来てくださってありがとうね(笑)」
なんておっしゃってましたけど、
本当に、いつ、どうなるかなんて、誰にもわからないことだものね。


友人のお母様が急に倒れて、半身麻痺になってしまわれた。
一命を取り留めたことは、本当によかったと思うが、
家族にとっても、これからが、勝負だと思う。
たいした手伝いもできないが、
あたしで出来ることがあれば、なんでも言って欲しいと思う。


会社の先輩はあたしより7歳年上で、一人暮らしをなさっているのだが、
最近、なんの理由もなく、急に死ぬんじゃないかという恐怖が襲って来て、
叫びだしそうになることが何度もあったそうだ。
話を聞いていて、たぶんパニック症候群だ、と思ったので、
医者にかかることを勧めたのだが、
案の定、そう診断されたそうだ。
自分が精神的な病気にかかるとは、つゆとも思っていなかったから、
病院へ行くことも、相談することかなりためらったが、
原因がはっきりしたので、少し安心した、とのこと。



いつどうなるかわからない、という恐怖は、
ひとりで背負っていくには、大層重たいものだ。
私だって、今はまだ、母のことを守っていかねば、という
精神的な支えがあるから、こうやってなんとかやっていられているが、
覚悟はしているが、いざその時になったら、
ペキン、とあっさり折れてしまうかもしれない。
自分が死ぬことは、いずれ訪れることなのだから、
そんなに怖いとは思わないが、
孤独は、油断をすると、あっさり精神を食い破ってしまう。
判断する力を失う、ということの方が死ぬことより数万倍、怖い。


ひとはひとりで生きていけない、なんてえのは、ただの理屈であって、
意外とひとりでも生きて行けてしまうから、なおさら厄介なのだろう。


さて、
では、どうやって、孤独と付き合っていけばいいのか。
勝つことは、基本的にできません。
社会性を持った動物ですからね、人間は。
正面きって挑んだら、確実に負けます。
真っ暗闇しかありませんから。


子供のころから小さな孤独と付き合ってきたからか、
なんとなく、ヒントとなるような方策が、身についていることに、最近気づいた。


それは、
脳に暇を作らないこと。
なんにでも興味を持って、それについて、考えること。


何も考えないスキマ、というのが、孤独の好物らしいのですよ。


なにもない、と思った瞬間に、
どーーーーっとね、入り込んできちゃうんで、
孤独が入り込む隙間を、作らない。
まあ、
作らない、とは言ってますけど、
自分は、気づけば、考えてない時間が、あんまねえなっていうだけの話なんですが。


晩御飯は何作ろうかな、からはじまって、
なんでこの人は、こんな言い方するのかな?
何故にこういう取扱いをしているのかな?
これなんでこんなにおいしいのかな?
どうしてこういう表現をとったのかな。
この音はどうやって出してるんだろう?
うわあ、空、高いなあ。
あ、今すごいいいにおいした。
この花、何て名前かな?すごいきれい。
あの時、どうしてそう言ったんだろう。
あの映画、おもしろそうだなあ、いつ見に行こうかなあ。
さあ、
もう一回、ロデオ聞こう。


他愛もない、と言ってしまえば、それまでだけれど、
こうやって、感じて、考えているということを、
意識するだけでも、随分違う。


目に見えているもの、耳に聞こえてくるもの、
匂い、味わうことができるもの、体が感じる温度。
そして、
ココロが捉える、風景と、感覚と、感情と。


いっこいっこを、大事にすれば、いいだけの、ことなのかなって。


色ってねえ、本当にきれいなんだよねえ。
風って、面倒な時もあるけど、体を滑って行く時、とっても気持ちがいい。
ごはんって、止まんなくなるぐらい(笑)おいしいし、
空と雲って、どれだけ眺めていても飽きないし、
音楽って、こころから、たのしくって、うれしくって、
いっぱい考えさせられて、だから、辛いときもあるけど、
きっかけをくれる、大切なもので。


自分が一番大事でいいと思うけど、
その、大事な自分が触れるものは、自分を作っているものだと、
それだけ価値があるのもなんだと、
意識することが、大事。



わーーーー。(笑)


いつもこんなこと考えてる訳じゃないっすよ?(苦笑)
レポを書く作業をしていると、
脳の思考回路(んなもんはねえのか・笑)が、一気に覚醒する感じになって、
余計なことまで考えだしちゃうんです。
なので、本来の目的が、進んでいかないのだ(苦笑)


ここに書く、ということ自体が、自分に対する、戒しめなんだよね。
本当に大事なことって、すぐ忘れがちじゃないですか。
だから、
ちゃんと、自分は、こう考えてるんだぞって、
自分に思い出させてるような感じ。


8対2ぐらいの割合で、怠け癖が出るんで(泣)
これから生きてくために、確認していかないとね、いけないから。
それに、
魂削って、作品作ってる人に、ちゃんと向き合って恥ずかしくない生き方、しないと、さ。