音楽遍歴

神など存在しないことは、
随分ちいさいころに、わかっていた。
母は結構真剣さに欠ける(笑)プロテスタントで、
逆に母の母はとても敬虔な人だったので、よく教会に連れて行ってもらった。
正直、牧師さんの説法はおもろい話程度で聞いていたが。
クリスマスやらイースターは、たのしかったな。
日常ではない、イベントごとだったので。


父は常識外の意識の持ち主だった。
養う立場にありながら、嫌なことがあれば、
平気で2、3日、家に帰って来なかった。
父の母は、神道系の新興宗教にのめり込んでいた。
父が帰らない日は、祖母が家に拝み屋さんを連れてきて、
延々とよくわからん祈祷をしていた。
そういうのを同時に見ていたから、
ああ、結局、頼るものなんて、気持ちのもちようなんだな、と幼心に思っていた気がする。


神はいないが、
人の強い気持ちが、神を生む。



一番最初に買ったのは、
中森明菜の{北ウイング}が入ってるアルバムのカセットテープでした。
お年玉でやっと買った、ダブルカセットのラジカセで聞いてた。
小学2年だったと思う。
シブガキ隊も好きだったな。
そのあとはチェッカーズ


小学校高学年から中学校はずっとエピック三兄弟。
TM NETWORK、渡辺美里大江千里
それから米米ね。
そりゃあもう、テープ伸びるくらいに聞いた。
友達からビデオ借りて見たり。


高校生になって、バンドブームが来て、
友達は、ユニコーンバービーボーイズBOOWYに夢中だったな。
あたしは、THE BOOMに、深夜のミュートマジャパンで出合って、
ひたすら彼らの音ばっかり聞いてた。
そして、彼らから、YMO矢野顕子さんを知り、
沖縄民謡やサンバやボサノヴァを知り、
なんだか音楽って、奥が深いなあって思い知って。


社会人になって、所謂渋谷系に魅かれ、
フリッパーズやピチカート、オザワくんからスカパラに親しんだ。
とにかくおしゃれだったんだよね。
社会人なりたてで、自分で洋服買ったりできるようになった時期でもあって、
真貴さんやカヒミは、真似はできないけど素敵だなって思ってた。
カジくんオザワくんは普通にファッション誌に出てたし、
電気やスチャダラまで、そういう扱いにちょっとなってたなあ(笑)
多分、鹿野淳の激熱苦しい文章に出会ったのもこの辺り(笑)


少し仕事にも慣れてきた頃、
唐突に表れた中村一義に衝撃を受けてビートルズを改めて聞いた。
とにかく、この人は見たくないことを突きつけてくる。
できれば曖昧にしておきたいことを、ばっさりいい捨てる。
さあ、君は今、どうしてる?と、突きつけられたのは、彼が初めてだった。
自分が生きている今が、荒野なのだと気付かされたのは、とても大きい。


山崎まさよしのうた声にひきつけられ、ブルースを知り、
スガシカオの歌詞に唖然としてファンクを知り、
そこで、沼澤さんに出会い、ドラムの楽しさに目ざめた。
この辺りから、聞き方が重たくなってくる(笑)
そういうものに、惹かれるように、なってきた頃。
何故、惹かれるのかを、真剣に考えるようになって。
より深く、知りたいと思って、
彼らが影響を受けた音楽を、さらに聞くようになる。


大きなきっかけになった方の名前だけ上げていますが、
他にも、たくさんの音楽家の音とうたに、あたしの生活は彩られている。


世の中がほんのちょっとわかってきた20代後半、
スネオヘアー、100s、フジファブリックbonobosという、
かけがえのない人たちに、出会えた。
もう、本当に、驚いた、としかいいようがない。
音楽が、こんなに自分の支えになってくれているのだと、
また、頼っているのだと、思い知らされたような。
己の魂の一部のようであり、何もかも違うその輝きに、魅せられている。
自分の感覚を、音にぶつけて推し量るようなことをするようになったのは、
彼らに出会ってからです。
手に掴めないものを、掴めないからこそ信じるのだと。



音楽は、
たのしくやさしく、気持ちを高揚させてくれるだけではなく、
痛みやカナシミや、苦しさ等、
もう自分だけではどうしようもないのもをも、すべて内胞して吐き出してくれるものなのだと。
受けてをも巻き込んで、共に鳴らしてその地平を見る。
だからこそ、
聞くだけで、救われるような心持になるのだと、
彼らに出会って、ほっと、息をつけている自分が、ここに。
彼らがいなかったら、あたしは世界との折り合いを、つけることはできなかった。
もともと、矛盾ばかりを抱え込んでいたから、歪が、大きくなりすぎていて。
ひとりで生きると決めたことが、心細かったりもしたのだけれど、
形はどうあれ、
己の生き方を、せいいっぱいやっていこうよ、と、言ってもらえたようで。
いっぱい泣いた。
彼らの音で。
それ以上に笑った。
彼らのうたで。


歪を、正してくれる、音楽。



ありがとう。
鳴らしていてくれて。
スネオさんが、かっさんが、蔡くんが、志村が、
メンバーみんなが、
何億分の一の確立で出合って、絆をしっかりにぎりしめて、
強い音を放ってくれるこの、奇跡を。
そこに立ち会えた、この巡り合わせを。
あなたたちがいなかったら、
わたしは確実に、ここから消えてなくなっていた。



そして今、
ストレイテナーACIDMANthe HIATUSといった、
とても激しい音を鳴らす人たちに惹かれている自分。
一見すると、何故惹かれているのか、まったく接点がないようにも見えるし、
正直自分でも不思議に思うことがあるのだが。
激しいギターロックは、あたしの音楽遍歴の中には、無かったものなので。


でも、こうしてライブに行って、彼らに相対して、
自分の感情の思うがままに体を動かしていると、あっさりわかる。
結局、形ではなく、その芯に、自分の真が響いているのだな、と。



多方面に振りきれている自分の心。
穏やかに笑っているひだまりのようなやさしさ、
何もかもをなぎ倒したい衝動に駆られるはげしさ、
いとしいものを、全力で抱きしめたいいとおしさ、
苛烈な程燃える、不条理への怒り、
ただただ、幸せに身を任せて笑っていたい光の渦中。
どんなものでも埋められない、深い深い闇。
そのすべての方向に、
そのすべての方向の感情を感じる手助けをしてくれるように、
常に鳴り響いている、音楽。


出来れば関わりを最小限にして、影響を与えず消えていきたいから、
みなが居てくれて、あたしは本当に助けられています。



直には、触れてはいけないけれど、命を救われています。
こんな人間でも、生きて、後の世をいくばくかでも支えることはできるから。



助けてくれて、本当にありがとう。



少しでも、
楽家の心と体が、その過酷な放出に見合うだけの、
あたたかさを得られていますように。