ラーメンズ第16回公演「TEXT」・左脳編

harikona2007-04-10


東京・東京グローブ座(3/17・夜) 
札幌・かでるホール(3/30・夜)


完全ネタバレです。
放送をお待ちの方はご遠慮ください。






正直,何を言っても何も言えてない気がするんで、
なんとも感想の書きようがなかったんですが・・・。
感じたまま,思いつくままにダーっと書いたので,
非常に読みづらいです。自分でも(泣)



ラーメンズ第16回公演「TEXT」感想・左脳編>
まず「テキスト」という言葉。
随分とたくさんの意味があるんですね。
本文、文章、文書、もともとの言葉、原本、言い回し、表現、
論題、主題、歌詞、教科書、教材などなど。
作者によって織りなされた本という意味も。
こうやって見ると、全コントが「テキスト」に関係しているんですね。
あのジョッキーですら(笑)
今までこんなにタイトルにこだわった内容もなかったように思います。
それと、コントとコント同士がかなり密な繋がりを持っていて。
同じ台詞が出てきたり、関連する単語が出てきたり。
いつも一つの公演の中で,どこかには繋がりが出てくるけれど、
今回ほど密な感じはなかったように思います。
すべてのコントがひとつの流れとなって,最後のコントに繋がっていた。
それはもう見事なまでに。


一つの言葉に二つの意味、一つの意味に二つの言葉、
日本語特有の言い回しの妙。
他国語と日本語のコラボレーション。
よくもまあ、あれだけ見つけてくるもんですねえ。
しかもきちんと、お話として成立させてる。
小林さんの真骨頂、という感じではありますが、
なんだか、いつものラーメンズとは、少し感触が違うように思いました。
違和感、ってことではないんです。
なんでしょうね?
ちょっとポツネン寄りな気がしたから?
それとも,最後のコントがしんみりするから?
・・・ということでも、ないような。
すーごい笑ってたんですけどねえ。不思議な感じが残ってます。


特に今回、思ったのは、
コントは生きてる、ってことと、
育てるのは客だってこと。
小林さんのホンは、アドリブとか入れるスキが無いほど、
決め事だらけなんだろうと思うのですけど、
それでも、お客の反応如何で印象がどんどん変わる。
今回幸運にも、東京で一回(3/17・夜)
札幌で一回(3/30)見ることができたのですが、
もう、札幌の方が断然おもしろかった。
や、もちろん、東京で見たのだっておもしろかったし、
その時のベストな状態だったのでしょうけれど。
たった2週間の間に、台詞の語尾、言い回し、強弱、
そういった細やかなニュアンスに変更点がたくさんあって、
(もう今となってはどこがどうとはさすがに覚えてませんが)
わかりやすく、入り込みやすく改良されていました。
分かりづらかったところには台詞がワンセンテンス足してあったりもしましたし。
そういうこともあってのことだと思いますが、
舞台上の二人と、客との一体感がものすごくて、
言葉だけで、これだけのエネルギーを生むことが出来るなんて、
今更ながら本当に驚かされました。
それが如実だったのが、3つ目のコント。透明人間の存在証明の話し。
完全に舞台の上の二人と一体化しているような気分でした。
小林さんの口車に乗せられそうになって、
必死で考えてる片桐さんと一緒になって考えたり、
片桐さんの屁理屈に小林さんと一緒につっこみを入れたり、
驚くほど、会話の呼吸感に同調している空気で会場が満たされていて。
それが伝わっているのか、二人の会話もどんどん熱を帯びてきて、
最後はものすごいグルーヴ感でした。
ライブではよくあることですが、
舞台でこんな感覚味わったのは初めてでしたねえ。
これは相当気持ちよかったです。
この3つ目のコント。
今回の公演の中では、一番好きかも知れません。
好き?・・・ちょっと違うな、しっくりくる、かな・・・。
二人でできる、最小限の表現「会話」
動きや見た目に一切頼ることなく,
言葉と感情のやりとりだけで,どんどん客を引きつけていく。
ラーメンズが最も得意としているもの(と勝手に思っていますが)であり,
多分一番神経を使うであろうコント。
そして、小林さんと片桐さんが、何も挟むことなく、一番「二人」でいられる形態。
もうね、会話するって、こんなに楽しいことなんだ、って、
思い知らされたコントだったと思います。
投げかけた言葉に、思いもよらない言葉が返ってくる、
返ってくる言葉を期待して投げた言葉に、想像通りの言葉が返ってくる。
こんなスリリングなことが、自分らの日常には、
当り前のように行われているんだなあ。
客観視しつつも、そこに生まれる気持ちのやりとりのグルーヴが、
ものすごく面白くて気持いい。
「会話」が「音楽」と同様のうねりを持った瞬間が見えた。
・・・きっと気持のやり取り、という点ではおなじなのだろうなあ。
それを、日々の繰り返されている中で、気づけていないだけなのだろう。
まあ、舞台上で交わされてる会話は、
かなりどうしようもないことなのですけど(苦笑)
それが、自分らの日常でのいろいろなところで交わされる会話に
驚くほど当てはまるのです。
常識、非常識、当り前。そんなもの、どこにもねえのにな。
「暗黙の了解」的な「常識」
誰も、そのライン、見たことないんだよ。
自分が引いているライン、相手の引いているライン。
この違いを測るだけでも面白い。
実は、自分の発言なんて、いろんな外的要因に、踊らされてるだけなんかもしれん。
・・・すいません、また脱線しました(泣)
言葉の意味を理解する。
出来ているようで、出来ていないことの方が多い、日々の会話。
いや、理解しようと、していないのかもなあ。
相手の発言を笑ってる自分は、果たしてすべてを理解できているのか??


東京と札幌で一番変わったな、と感じたのは、
後半、攻守が逆転したときの、小林さんのトーン。
上下関係をあえて排除していた東京に比べて、
札幌では、相手(片桐さん)の反応を面白がるような表情になっていたように感じました。
さあ、そこでどう返すんだ?といった具合に、
ワザとカマをかけているのをあからさまにしているような。
優劣をはっきりさせたことによって、
入り込み易さが格段に上がったように思いました。
・・・なんだかんだ言って、
自分がどの辺りの位置なのかを、
確かめないと安心できない人種なんですな、日本人って(苦笑)
ってか、俺が、か?
まあ、そんなこともありつつ、
腐った思考の自分的には、
片桐さんの困ってる様を面白がる小林さん、とか、
苦しいながらもなんとか返そうとする片桐さんを、
うれしそうに見つめる小林さん、
という構図がね、・・・かなり楽しかった(笑)
札幌ですごく印象に残っているのが,
「「逆否不透明人間以外を否定する意見」を肯定する訳にはいかない!」
と,小林さんが急に切り返したこと。
多分これ,東京では言っていなかったと思うのですが,
片桐さんがびっくりした顔してうろたえたまま,
さらにこれを否定しようとしたのですが,
センテンスを覚えきれず,ぐだぐだになってしまった,ということが(苦笑)
二人して顔を見合わせて笑ってらっしゃってて。
その時の空気がすごくよかった。


個人的に一番入り込んでしまったのが、最後のコント。
もうここまでくると、コントと呼んでいいのかも疑問ですが。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を持ってこられちゃねえ!!
賢治大好きな私としては,もうそれだけで感涙もの。
大好きな二人が大好きな物語を演じている。
もうこんな至福はありません(泣)
しかも,「銀河〜」を下敷きにして別の物語になってはいるものの,
肝になるところ,というか,
世界観の美しさは壊さずにいてくれたのがすごくうれしい。
「二人は供に旅をしているように見えるが,実は互いに相容れない場所にいる」
ということを,それは見事に,
原本(敢えてこう書きます)とは違う形で見せてくださいました。
2つ目のコントがここの伏線になっていたんですね。
伏線、というか、最終形態というか。
列車の連結の音。こちらでは、とても悲しく響きました。
繋がって、そして、離れていく。
片方の世界の住人は相手と供にここに居て,会話していると思っているのに、
実際はとても遠い場所にいる。
二人の会話が,実は会話ではなかった,ということがわかった時点で、
切なさと悲しさがいっぺんに押し寄せてきました。
最後の金村片桐の言葉「ああ,俺,本当はここに居ないわ・・・」が,
とても悲しく響きました。
さらに。
「ずっと、一緒に行こう」という言葉を、
この世界から去っていく金村片桐に言わせていたのもかなり泣きでした。
正直いうと、この台詞辺りからホントに泣いてました(苦笑)
・・・入り込みすぎ(苦笑)
片桐さん、確実に演者としてスキルが上がってるなあって。偉そうですけど。
完全に持って行かれました。
「烏瓜」「活版印刷所」という単語が出てきた時点で、
賢治好きならピンと来るでしょうね。
それと、登場人物の名前。
金村=カムパネルラ、常磐(ときわ)=ジョバンニ。これはうまい。


ただ,ひとつ,自分で納得できてないところが。
物語の最後で,外れ馬券を投げ捨てる常磐小林が,
「かすりもしねえ!」
と言っていましたが,
これは,別の意味も考えるべきなのでしょうか?
そこまで踏込まずとも良い台詞だったのか,少し判断に迷っています。
お互いがいる場所が遠すぎて,
会話,というか意識がかすりもしない,という意味も込められているのか。
それとも,
単純にあのジョッキーの事を思って,笑っちゃえばよかったんですかねえ・・・。
コントのアウトロにはあまり重い意味を持ってこない方ですから,
サビが片桐さんだとしたら,これ以上のことはしないかも。
と,思ったりもして。


家に戻ってから「銀河鉄道の夜」思わず読み返してしまいました。
言葉のひとつひとつが本当に美しいですね。
久しぶりに読んで,改めてそう思いました。
ただ、このコント、
出典がわかってないと、すごーくわかり辛いかもしれませんねえ。
話の流れがわかってないと、細切れになっているように感じるもの。
新聞の活字間違い,金村と常盤の会話,
牛乳屋とのやりとり,おかあさん(笑),そして列車の中。
これまでのコントには繋がりが見えても、
このコントの中では、どう繋がっているのかが見えづらいかも。


今すべてのコントを思い返していると,
「会話する」ということの,
根本に迫ったコントの数々だったのではないかな,と思います。
会話とは,相手の話す言葉の意味を理解して,
それを咀嚼し,自分の考えを加味した上で,
相手にそれを理解してもらうために言葉で表現する,という作業な訳ですが,
このところ,パソコンや携帯電話等の普及によって,
言葉はたくさん知っているけれど,
その真の意味を理解していなかったり,
面と向かって会話していても,まるでメールのやりとりをするように,
ある意味一方的な感覚で行っていたり,
随分軽んじられているような気がします。
これは,残念ながら,私にも当てはまるところが多々あるのですが。
そういった風潮に対して,
「言葉」と「会話」というものを誰より大事になさっている小林さんなりの,
問いかけだったのではないでしょうか?
「言葉の意味を伝える」ということ,
とても考えさせられました。


そういったことを意識しているからこそ,
2つ目のコントのような,
それを逆手に取ったものが生まれてくるのでしょう。
言葉の意味ではまったく相容れていないのに,
表面上は会話しているように見えるし,それで成立してしまう。
そこから生まれる,矛盾したおもしろさ,といいますか。
もちろん,意味だけにこだわっているのではなく,
「言葉」というもの自体のもつ響きや音や,見た目が持つ魅力をも,
存分に発揮させているからこそ,気持ちよく驚かされた作品でした。
コント中に使われた列車の連結のSE。
二つの世界を言葉が「繋いでいる」という意味なのかな。
日本語には,たくさんの美しい言葉や,
先人達の細やかな遊び心によって生まれた素敵な言葉がたくさんあります。
そのひとつひとつを,まるで宝石のように,
大切になさっている小林さんだからこそ,
あれだけのものを生むことが出来るんでしょうね。
個人的には,爆破ちゃん(笑)を追う刑事と,もてない男のやりとりが好きです。
言葉だけじゃなく,実際に最後に二人が出会っちゃうのがいい。
これだけですものね、実際に二つの空間が繋がるものって。
それから,このコントの時の照明がとても美しかった。
左右に立っているそれぞれに,
四角のスポットライトのみが当たっていて,
しかも影が二つわざと出来るようにしていて。
このコントにピッタリだったと思います。


今書いてて気付いたのですけど,
最初に書いた,今回の公演に感じた,不思議な感触のこと。
これって,主張がはっきりしてる公演,だったからなのかもしれません。
言いたいことが明確,というか。
ラーメンズラーメンズという形態である理由,
そのものだった,というか。
いつも,小林さんの意図するところは,
恥ずかしながら見に行った時点ではわかっていないことの方が多く(泣)
ただ楽しくだまされて,げらげら笑って帰ってきて,
事後,演ぶ等のインタビューを読み,
入場時に配られた挨拶文を読み返して,
初めて「ああ・・・」と思い至る,といった具合なのです。情けなくも。
それは,あまりにも巧妙に,
小林さんが笑いの中に紛れ込ませてしまうから,ということもあるのですが。
こういうことを言いたかったんだ,と,
あからさまに表現することはせず,
意識下に刷り込まれるように,それを忍ばせる。
それが今回は,もう,「これがラーメンズだ!」と言い切っているような,
強い意志が,数々のコントに滲み出ていたから,
逆に違和感を覚えたのかもしれません。
今思えば。
あとは・・・張り詰めた空気感が尋常じゃなかったっていうのもある。
どのコントも寸分の狂いもなく、
練りに練られた精巧さ出来ているものがほとんどだったので、
その緊張感たるや、すさまじいものがありました。
ほどよい緊張感は、いつもあることなのですが、
今回のそれは、こちら側に居てもじりじりくるくらいで。
手に汗握って,固唾を飲んでしまいました。
作品を作り上げるために、強いる精神力が尋常ではなかった。
それは、客側としても、作品に求める期待が、
過剰だった、と言うこともあったのだと思いますが。
まあ、正直、その緊張感が心地よかったりするんですよねえ。
ラーメンズを見に行って、頭痛くなってる自分が楽しいっていうね(苦笑)
・・・ちくしょう。またしても小林賢太郎に踊らされてるぜ。


今日もどこかで、
社鬼が思惑通りに、会社を立て直したり潰したりしてるのかな。
バイトに扮して、面白いアイディアを出しながら(笑)
上層部も平社員も、両方ちゃんと見てるんだもんなあ。
すげえな、社鬼。
それでこそ、企業を守ることができるんすね。と、感心してみたり。
それにしても「老若男女が輪になって蛾を持つ」競技ってどんなですか??(爆笑)
・・・。
この時の社鬼の「へっへっへ!」という笑い声。
これを聞いただけで、
2年の間に、片桐さん、役者としてすごくなってんな!!って、思ったんですよ。
この笑い声だけで、すごい説得力があって、びっくりしたんです。
存在感があって、社鬼という生物?に現実味があったというかね。
そう思った自分にもびっくりしましたけど。


なにはともあれ、
2年ぶりの本公演。
それはもう、異常なまでに、ものすごい期待して見に行ったのですが(苦笑)
見事にそれ以上のもので返してくださいました。
最高傑作です。間違いなく。
ご本人等の気合も相当だったのだろうとお見受けしました。
コント見に行ってたのに・・・笑いに行ってたのに(苦笑)
何かこう、お互い、取るか取られるかみたいな、
戦いに行ってるような、すごい緊張感の中、
あれだけの事を起こしてくれた、お二人はやっぱり、すごい。
ただただ、感謝でいっぱいです。
ありがとうございました!
素晴らしいもの見せていただきました!


あー,いろんなこと考えた。
頭痛い(苦笑)