実の父が、死んだらしい。



「らしい」というのは、
人伝えで聞いたから、なのだが。




なんの感慨も浮かばない。




多分、遺体を見ようが、戸籍を見ようが、
あちらの親族に責められようが、
なにもおもわない。





14年前、母を連れて家を出る時に、
それはある程度分かってはいたことだ。
こういう情報が、いずれ舞い込んでくるであろうことも、
それに対して、自分が何も感じないであろうことも。


もし、
本人の身柄や遺骨を「引き取ってください」と言われても、
引き取る気はさらさらなかったし。






非人道的と思う人も、理解できないという人も、いるだろうとおもう。
それが、所謂「普通」だし「世間一般的」に「おかしい」と思う人には、そうだろうし。



「情」や「愛」を、大事に思う人にとっては、不快だろうと思う。





ここに書いている時点で、
後悔はない、とは、言いきれないような気もするし、
父を自分の人生から切り捨てたことで、
安易に楽になろうとしたようにも思える。
そしてそれで、
故意に自分に枷を填めている気になっているだけのような気もする。



自分の中に流れている血と、
向き合うのが怖かったからかもしれん。
こいつに、あたしもなるのだろうか、と。



まあ、理屈はいい。




あの人と、同じ屋根の下に寝起きすること、
母が、ひたすら耐えている姿を見ることが嫌だった。
だから、
自分の力で食っていけると判断した時、家を出た。
今後、どんなことがあっても、
その関係性は修復されないだろうと、思いながら。




そうしてあたしは、
実の父が、どこでどう死んだのかにも興味がわかず、
なにもおもわない人間になった。


自分がいなくなる時には、
形として、何も残さないと、あの時固めた決意を、
新たにしただけだ。




まったく。
いろんなことが起こり過ぎて、疲れが一向にとれんよ。