結局のところ、
自分が求めている答えは、
いつも同じことなのだな、と。


外的要因がどんなに多大なことであろうと、
行きつくところは、いつも、同じ迷路なのだと、
くやしいかな、ため息が出るのです。


まあ、
答えなど、いつまでも、出るものではないのですが。





ひとつ前に、ストレイテナーのライブレポを書いています。
多分、いつまでも書き足していると思います。
いつもなら、これでもう、自分の中のものは全部です!となるまで、
書きつくしてから、人目にさらすのですが、
なんだか今回は、
思いついた端から、どこかに残しておかなきゃ、という、妙な危機感がありまして。
載せてからも、あちらこちらと、書き足しております。
まあ、
興味のある方は、たまにのぞいてみてください。
なんか、増えてるかもしれません(苦笑)


それだけ、大きかった、ということだと思う。
求めるものには、巡ってくる、というか。
かたちがないからこそ、強いエネルギーを発するものだから、
芯の強い作品は、
受けての必然に、確実に答えてくれる。
それが、今、自分が参加できる条件に合った、という、この奇跡。



ボノの時計台ライブも、
スネオさんのキネマ倶楽部でのライブも、
あのタイミングで、行くべきだったのだと、
今更ながら、痛感する。
言葉に起こすには、あまりに自分が混乱し過ぎていたから、
具体的なことは何も書けないけれど、
あの日、あの場所で、数々のうたを聞くことにこそ、
今を見つめるための「しるべ」があったのだと、思うのだ。
だからこそ、
今、こうやって、
ライブを楽しめたと、言い切れるだけの、モチベーションを持つことができている。



スネオさんも、蔡くんも、ホリエも、
厳しくもあたたかい、強さを持ったうたを、うたってくれて。
強要はせず、あくまできっかけだけを、そっと、語りかけてくれる。



さあ、
あたしは、
それに、どう返せばよいのか??


どうするべきなのかは、実はすでに見えていることだったりするのだが、
納得できるまでは・・・・うーん、受け入れることができるまでは、
もっと、時間がかかるだろうな。
理屈をこねることも必要だけれど、
流れに身をゆだねることも、大事なことだと、わかっては、いるんだ。


ただね、
その「いずれ」が訪れるのを、ただ無為に待っていても、だめなんだよな。
出来る限りのことを、やってこそ、その機会が与えられるのだと。
あ、
与えられる、という表現は誤法だな。
その機会に気づくことが、出来るのだ。



・・・そこを見出すのは、自分自身なのだから。



あたしは恵まれていると、本当にありがたく思う。
負なオーラ全開なのを(苦笑)気にかけてくれる友人。
いてくれるだけで、それで十分な、家族。
例え、感違いであろうとも、
あたしの今の心情に、的確に語りかける作品を生み出してくれる、表現者たち。



すべてが、今のあたしを、かろうじて生かしてくれている。
皆がいなければ、
あたしは、つまづいた子供の頃に抱えたものに、食い殺されて、
すでにここにはいないものになっていたと思う。




こうやって踏みとどまっていることも、
なんの益にもなっていないかもしれんが、
在ることを、何かが求めているからなのだと。
それは、自分かもしれんし、他者かもしれんし・・・・大きな流れなのかもしれんし。
じぶんではどうにもならないもの。
だからといって、投げ出すことも、任せることも、意のままに操ることも不可能なもの。
苦痛といえば苦痛だし、
だからこそ、おもしろい、と言える強さを持つことが出来ればいいのだけど。
先はわからない。
意のままに操っていると思っても、何かの流れどおりのことなのかもしれん。
何かの流れだと思い込んでいても、実のところ、自分が無意識に踏んでしまった道なのかもしれん。
何かの所為にせよ、自分の無意識の所為にせよ、
起きた物事に、どうにか対処していくしか、あたしにできることはない。



自力でかんがえのきっかけを作ることが、どうにもね、難しいもので・・・。




まだまだ、時間がいるなあ・・・・。




この、ぬる〜い地獄(@松尾スズキ)を、渡り歩くのは、相当に辛いすな(苦笑)