必然と偶然と、念。

世の中は黄金週間という祭り開催中ですなあ。
なんとか仕事がひと段落ついたので、
暦通りには休むことができます。


はー。


ちょっとひと息つきます。




身体も頭もココロも、結構いっぱいいっぱいでしてね(苦笑)



自分と社会、とか、他人と自分、とか、
血とか、巡り合わせみたいなもののことを、
子供の頃から頻繁に考えていた人間だったのですが、
・・・今はねえ、ちょっと、起きていることにおっつかなくて(苦笑)
在る程度、自分の中で判断の基準が備わってきていた矢先に、
意図的に避けていたものが、
あっさり目の前に立ちふさがってるような、ね。


甘いんだろうな、考え方が。
もっと、自分でしゃんと立たんとな。


身体壊れると、踏ん張りが効かん。
ちっくしょう。こんな弱かったかなあ。あたし。
くやしいなあ。
鍛えないといかん。やはり。
身も心も。





フジの新譜が出ます。


正直言ってしまえば、
志村の意図したことが100%に近い形で表現できないのであれば、
リリースするのは、どうなのかな?っていう気持ちと、
志村の中に生まれていた、うたを、どんな形であれ、聞きたくてしょうがない、という気持ちと、
ダイちゃん、加藤さん、総くんが紡ぎ出す、フジファブリックの音の、
真骨頂を浴びたい、という気持ちが、混在していて、
・・・どんな気持ちでいたらいいのかも、まだわかりません。
こんな遠いところから、志村のことをただ眺めていた人間に、
側にいて、たくさんの気持ちをわかちあったひとたちが成そうとしていることに対して、
とやかくいうのは・・・卑怯だと、思ってしまう自分もいる。



でも、
何より、この4人で、鳴らしている音が、あたしは大好きだから。
志村正彦という存在。フジファブリックという生き物。
あたりまえに、不可分。


余計なことは考えない。
ただ、生みだされたその音に、まっすぐ向き合いたいと思う。
今までも、そうしてきたように。




ダイちゃん、加藤さん、総くん。
そして刃田さん、スタッフのみなさん。
受けてのことは、あまりかんがえないでいただきたいです。
志村の、やりたかったこと、
フジファブリックでしか、鳴らすことができない音を、
ただそれだけを。
分かりやすさや、おもいやりや、やさしさなんて、いらないから。
フジファブリックの、あたらしい、音を。



なんだかんだ言いつつ、フジファブリックというバンド、
あたしはとても信頼しているんです。








スネオさん、下北ガレージHPでのインタビューを聞く。
ごめんなさい。
なんか・・・・なんとなくこの感覚は・・・あまりに近くて嫌になる(苦笑)
カナシミの大きさや質なんて、くらべるものではありませんが。
失い続けるのが人生、とは、よく言ったもので。


抱えている「自分」の感性が、あまりに面倒で、
世間と呼ばれるものに迎合してしまえば楽なんだろうな、と思ったりもするが、
それができないが故の、孤高が放つ美しさと、ジレンマが生む熱。
だからこそ、保ち続けている、静かであたたかな、根を見透かす、目線。
曲げられないココロ。


かと思えば、
目の前の安易なやさしさや、簡単な言葉につられてしまったり、
自分の意図したことと違う、大きな流れにのまれてしまったり、
その先に、苦しさや虚しさが、待っていることがわかっていて、
それでも、そこを歩かざるを得ない・・・弱さ・・・。
弱さ・・・と呼ぶのも、違う気もしますけど。


あ、
今更ですけど、強いとか弱いって、
人と比べてってことではないですよ。
あくまで、自分の中での基準の話であって。



成長=社会性の獲得、
みたいな構図がまことしやかに正解のようにささやかれているけど、
それによって、失われてしまったことの方が断然多いことを、何故気づけないのか。
確かに、人との繋がりあってこその、生ではあるが、
繋がりを求める前に、
己がどれだけの形を成しているのかを、見つめることをしないと、
繋がった相手のことを、想いやることもできはしない。



フォークの時と同じ目つきをしている写真を見て、
とても苦しくなると同時に、
やはり、己と戦う時期にあるのだなと、
勝手ながら、同士的な気持ちになっておる自分。


「ひとり」だということを、強く意識しなければいけないと思う。
その「ひとり」は、
たくさんの「ひとり」が居てくれるからこそ、
わたしという「ひとり」としての個体で、存在出来ているということを、忘れなければ、
間違った解釈はうまれないと思う。



これがね、
なんでこんなに難しいことなんかなって。





うたうことに、しがみつく、のであれば、やめたほうがいい。
うたうことそのものを、必要としているのならば、
それはもう、存在として、必然なのだろう。
受け手は、二の次でいい。
自分が、うたいたいうたを。


そうすれば、おのずと、呼ばれるものは、呼ばれてくるのだと思う。
そういう、うたうたいだと、あたしは信じている。



そして、あたしも、
そうやって、歩いて行くしかないのだと、
あきらめとともに、
泣きながら、自分を傷つけながら、人にも当たり散らしながら、
・・・時には笑いながら、
歩いている。



自分に負けんのが、一番くやしいもの。