ニュータイプとファーストチルドレン

とフォースの戦士と霧原兄弟。


一日中、「広報中村」と「中村語録」と、「ROCKIN‘ON JAPAN」のインタを読み、
金字塔からOZまでを聞く。
OZⅠからは6人個々の匂いがいっぱいするし、
OZⅢからは6人の笑顔とあたたかい光の中、歩いている姿が見えるし。
(これはライブ見てから、そう感じられるようになった)
でもね、憂いゾーンには、今まで人の匂いがしなかったんだ。
うんと・・・鳴らしてるのが人である、ように聞こえないっつうか。
無意識の意識っていうのかな。
こう、世の中に流れてる退廃的な匂い、みたいな、
出してんのはあたしら人間なのに、その実態が見えなくて、
漠然とした黒いうねりが音になってる感覚。だったんだ。

それがね、
やっと、憂いゾーンの楽曲の音に、個々の顔が見えるようになった。
音に血が通った、というか。
今までは・・・その・・・なんつうか、
曲が見せる情景、曲全体の感覚としか捉えられなくて。
や、それが正しいのかもしんないんだけど。
きっとそれは、鳴らしてる全員の意識が完全に同じ絵を見て演奏してるから、
そう感じられたんだろうから、曲としては当り前に描かれてんだろうけれど。
崩れている墓石の鋭利な冷たさ、残り香のようにあるのにない柔らかな暖かさ、
失われた一部分、明滅する絶望と恐怖、霧雨のように降ってくる彼等の悲しみ、
対岸の見えない大きな川、渦を巻く欲と雑音、
鎧、仮面、その向こうの虚空、廃墟の瓦礫、
交わらない、交わろうとしない声、天岩戸、
出ない声、出ないと思い込んでる声、
霧の向うに昼間の月、
吐いた息の白さが空に上って消えていく、
静脈と動脈と包帯、幻にしか見えないガラス玉、
耳と目に詰まった汚泥、遥か彼方の光。
喉に詰まった叫び、祈り。
イメージの嵐。でもこれが現実。今のあたしにはまだ。
もうカズくんが歌っていようが、トムくんが叩いていようが、
そんなもん、はっきりいってカンケェねえってところまで、
いっちゃってる曲ばかりだったんで。
もちろん、100sが鳴らすからこそ、そう聞こえるんでしょうけども。


一年経って、大きな出来事があって、
そのイメージはそのままに・・・、うんと・・・、
曲の意志の他に、血が通ってる人間が鳴らしてる意志、が聞こえたっつうのかな。
まっちいの左、おのちゃんの右、トムくんの後ろ、ヒロくんの足元、
間を流れる池ちゃん、そして、まんなかにいるカズくん。
ドクドク流れる血が、見えた。
血が流れてる人間が、血が流れてないような感覚しか持てなくなってる今が、
どれほど怖いんか。
それが見えた今、改めて、今、が怖いと思った。


まだ、ここ止まりです。