あくまで途中経過

昔しんどかったから、
今らくちんなのはすごく幸せなことだとおもう。
あの頃があるから今があるともおもう。
らくちんになるために頑張ったし。
環境を嘆くことは・・・あまりしなかったかな。
ではどうするか、を必死に考えていた。
おかげでいろんなものが見えるようになった。
気付けることも多くなった。
それがひとりよがりになりがちだということも、
わきまえないといけない、ということも。


辿り着いた場所というより、
そこまで辿り着くための手段が、他力か自力かによるのではないか。
だから、シンデレラに違和感を覚えた。


けれど、
諸々を経て、今笑っていられても、
その姿すら、かなしくみえるのだろうか・・・。



ああ、違う。
そういうことではない。
世の悲しみすべてに対して、なのだね。
大きさや深さや、成り立ちなど、
大小やいきさつなどで、判断してはいけないのだ。
尺度を持ち込むこと自体、あやまちであって。
すべて。
どんな痛みも、かなしみも、受けたひとにとっては、大きな痛手であるということ。
それは、他人が判断したり、推し量っていいことではない。
そのたとえが、今回はシンデレラだったのだ。
己の物差しに、当てはめてはいけない。


眠りの旅の先にある夢。
旅から旅へと、その果てに生まれるうた。
シンデレラの夢が、うたになっているような気がする。
ちょっと違うか。
シンデレラの夢のひとが、うたを紡いでるような。
闇の夢が光となる。
運命の歯車が、回っているようなギターとベースの噛み合い。
回る音そのものがまるで鼓動のような、ドラムの高鳴り。




どこまで愛がでかいのかな。
おっと、それも違うね。
愛は、それだけ、すべてを包み込む大きさがある、
ということを理屈ではなく理解している、のか。



追いつくには、多分もう2、3回人生送って、
輪廻解脱しないといけないんではないだろうか。