まだ足りないけど

載っけちゃいます。
なんかそういう気分なので。



{さらり}と{Beep Yeah}は対の曲。
手を引かれている者と、引いている者。


引いている者にも不安と葛藤と迷いがあり、
引かれている者にも、見えているものがある。


聞いているよ、いつも。
ええ、いつも。呼吸をするように。そこに。
導く何かが、わたしたちの、手を引いている。
遠いけれど、同じものを見ているのだと、信じて。


緩やかながらも、共に、歩いているのだと、思います。
室外機と暖炉の違いはあれど。
そう、
まあ、うちはストーブですけどね。



大江健三郎さんの「二百年の子供」を読んだ。
ああ、そうか、と、納得できることも、
ああ、そうすればよかったのだ、と、気付かされることも、
そうできれば、よかったのだな、と反省することも、
それでも、何かをもたらし、もたらされているのだと、
少しうれしくなるような気にも、なった。


何度もね、涙が出たよ。
見つめること。想うこと。推し量ること。守ろうとすること。
大切な存在だからこそ、
冷静に見ることも必要だということ。
近いからこそ、そのままではなく、その向こうに広がることにも、
よくよく考えを巡らせること。
時には、想いのままに、赴くことも大切だということ。
言葉、行動のすべてに、
大切な意志が含まれていて、それを逃してはならないということ。
みんな、それぞれが大切な役割を持っているのだということ。
相手を想う気持ち、事実との対比。
自分の中の、真実を見極めること。
言葉が、想いが近いね。


深呼吸をしてから、ものを言おう。



最初、文体が馴染まなくてなかなか進まなかったけれど、
三人組と周囲の人たちの思いの先が見えてからは、
すっと中に入れるようになった。


もう一度、じっくり読もう。




最低の最高って、
いい言葉だな。