ほとりにて

一年という時の流れが、
こんなにも無自覚だった年はなかったのではないでしょうか。


その時々では、
気温や匂いや、空の色や雲の形、木々の色、雨の降り方、
各種イベント(仕事上も含め)などから、
時は経ち、季節はうつろい、
大きくも小さくも、移り変わって行くことを、
見つめていたはずなんですが。


そして、意図的に、
人は、多方面への関心と感覚とを駆使しているからこそ、
このカタチを保って居られるのだということを、
追われるように、確かめていたにも関わらず。


今、
こうして、
再び「あの日」がやってきて、
まるで、何も変わっていないような、気がしているのです。
共にライブを作った、10月3,4日の札幌ペニーレーンが、
今年のことだったのか、去年のことだったのか、それすら危うい。


あの日の、報せを知った瞬間の、
まるで、ビルの屋上から地面へ叩きつけられたような、
恐ろしいまでの衝撃と、
周りのすべてが闇に呑まれたような、絶望と、喪失感と、虚無が、
不意打ちで襲ってきていないだけで。




フジファブリックのうたは、
いつでもあたしの側にある。
それは、何も変わらない。
うたを聞いていて、
問いかける相手がいないとわかってはいても、
やはり、同じ問いを想い浮かべている。


そして、
あたしの心の一部は、
損なわれてしまったままだ。
いつまでも、損なわれたままだろう。
この状態で、どうバランスを取るべきなのか、
まだ、掴めていない。



ただ、
ひとつ学習したことがある。
「今」を逃したら、「次」はないのだ。


ライブに行くこと、
大切な友人と顔を合わせて他愛もない話をすること、
母に「おはよう」を言うこと。
今日の空は、今日にしかなく、
今受ける風の感触は、今しか感じられない。



志村とともに在った日々は、
とても楽しくて、刺激に満ちた日々で。
時にはめんどくさいなあ、と思ったりもしたけれど、
その作品が、いとしくてたまらなくて。
音楽の聞き方も変わったし、視野も随分開かれた。


・・・その日々に、後悔はない。


だが、未来を、信じてはいたんだ。
明日は、何がこの人に起こるのだろう、
それを受けて、あたしは何を想うのだろう、
その先の、化学反応は、もっと面白いものになるだろうと、
なんの疑いもなかったから。


でも、
・・・・・変わらないものなど、ひとつとして無いのだ。



まったく。
勝手なもんだよな。
と、自分でもあきれ果てるのだが。




受け入れられないことと、
受け入れられていくことが、
こんなにも怖いと思ったことはない。



ただのエゴだとわかっていても。





なんだか取りとめなく書いてしまいました。
まとまんないです。
まとまるわけがないので、このままにしときます。