呼吸と意識

harikona2010-10-30

家人のために、
ごはんを作ること。
仕事の相手が
やり易いように引き継ぐこと。
苦情の対応を
無難に受け流すこと(苦笑)


友人と
他愛もない話で笑うこと。
何気ない発言に、
はっとさせられること。
共に、考えること。


空を仰ぎ見ること。
花や木や
空気の匂いが
季節のうつろいとともに、
変化していくのを楽しむこと。


小説や映画から、
テンポや間や、表現の形態を学ぶこと。
好きな音楽を、
そのものを楽しみながら、
その表現の向こうまで想像すること。


好きなものを食べたり飲んだりすること。
何も考えずに、ぼんやり時を過ごすこと。
ただただ、眠ること。



誰かのためではない。
全部が、自分のために必要なこと。
いや、もっと、これ以上のことを、あたしは受け取っている。


最近、
それら全部が、繋がってるんだなって、
やっと思えるようになってきた。
繋がっていることは、公然の事実だけど、
実感として理解できるようになるのには、
時間も、力も・・・・・タイミングも必要なんだろうな。
自分の目先のことだけで、己は、生かされいるのではないのだ。
どれかひとつが、特別なのではない。
たくさんの他者の気配りと、想いやりと、力いっぱいの想いのたけと、
出会いの偶然と、パワーバランスと、
ちょっとした作為と、
それに呼応する自分の感性が共鳴することで、
今が成されている。


自ら強い力を発することはあまりないので、
どちらかというと共鳴板的な、意識でいますが。




今日、荻上監督の「トイレット」という映画を見て、
歩いて帰る道中に、
庭木や、花や、空の青さや、川の煌めきをぼんやり眺めて、
帰りに食べた、気に入っているそば屋の山菜そばの味と、
帰宅して母のために作ったハンバーグの匂いを嗅ぎながら、
とりとめなく、そんなことを想ったのです。



実践できてるとは、到底言えませんし、
普段いろいろなものに追われて、自分の想いの重さに辟易している時には、
こんなこと思い出すことすらできていませんけれど。



大事なものは、ひたすら大事なのだ。
相手に、自分に、何があろうともね。
お互いの間にその瞬間に生じた磁場は、間違いがない。
なにかしら、ひっかかったものを、ひとつひとつ大切に、向き合う。
あまり気負わずに。
どのみち、命尽きるまで、それは続くのだから。
ユーモアも、交えてね。
相手と一緒に、笑っていたいじゃない。やっぱりさ。



サイレンが窓の外で鳴ってる。
誰かの命が、脅かされている。
どうか、どうか、少しでも、誰かとともに、歩むことが出来ますように。
救う側の職についている方が、後悔にさいなまれませんように。



あしたは、友達の発表会に行きます。
随分行ってない、お気に入りのカフェにも行こうかな。



今日は少し、穏やかに眠れそう。
夢も見ずに、深く眠れたらいいな。