海へ

20年近く行っていなかった、父方の墓参りに。
墓地の場所すらどこにあったのか記憶もおぼろげ、
親族の名字もあやういという、かなり行き当たりばったりな状態だったが、
なんとかたどり着けた。


子供の頃の記憶の保持され方に、今更ながら驚く。
お供えをした食べ物や、その時の会話、読経の声、
そんなものが墓前に立った瞬間にどっと蘇った。


私は、父を捨て、
父の親族との繋がりを絶った人間だ。
彼と、彼らの性質や物の考え方には同意できなかったし、
共に生きるということは私には耐えられないことだった。
だから、今更どの面下げて、という気もしたのだか、
身に流れる血には抗えないし、
彼らが、存在したことに対しては、敬意を払いたかったから。
父に、ひとつだけ言いたいこともあったし。


墓地の近くに、まだちいさかった頃、
夏休みになるとたびたび連れられて来ていた叔母の家がある。
家業は漁師で、家の裏には畑もあり、山もひとつ持っていた。
おかげで、釣りやら海水浴やら、畑仕事やら山菜採り等、
なかなか出来ない経験をたくさんさせてもらった。
数少ない、いい思い出だ。
そのことにはとても感謝している。


3時間に一本程度しかないローカル線を待ちながら、
あの頃と同じ海を眺めていた。


父が好きだった銘柄のビールを供えてきた。
随分と苦い味がした。