同じ月

人間は、
悲しみに対応する術に対して、
学習する能力ないですよね。


何度失っても、
その悲しみを逃れる術を、
知らない。


あ、
でも違うなあ。
だって、
失った人やものによって、
悲しみの色や形って、全然違うもんね。


対応なんて、できるわけないや。



最近は、
志村を想うことを「ひと休み」しています。
もちろん、はっきり割り切れるものでもありませんし、
ふとした瞬間に、わっっと押し寄せる恐怖を、止めることはできません。


でも、
やらなければならないことはたくさんあるし、
音楽を楽しむことを、止めることはできないし、
何よりも、
大切なひとたちに心配をかけることを、避けねばなりません。


母が、本当は手術しなければならない、ということを、
あまりにあたしが落ち込んでいるために、言いそびれていた、と、
先日告白されました。
・・・・そんな大事なこと、なんで早く言わないのよ!と思ったけれど、
あたしは、それほどまでに心配させてしまっていたんだ、ということに、
ありがたいやら、・・・情けないやらで・・・。


やはり、母にはかなわない。
そして、この人を、もっと大切にしなければ。



志村が苦悩とともに生みだした音楽と、彼の死とは、
今後一生付き合っていくのです。
忘れようにも、忘れられない。
語弊を恐れず書きますが、
だからこそ、この事実とは、
うまくつきあっていかなければならない。
すべてを、悲しみで埋め尽くすことでは、ない。



正直言っちゃうと、まだ、日本語のうたは、フジ以外のもの聞けないです(苦笑)
あ、やっと、ボノとあっこちゃんは聞けたけど。
スネオさんでさえ、音源が聞けない。
多分ねえ、スネオさんは、ライブでお会いできるまで聞けないと思う。
そこにいることを、確かめられるまで。



いつもいつも想い続けるのではなくて、
想うときはちゃんと、一心に想う。
それでいいんじゃないかなって、思えるようになってきた。