負のスパイラル
あまり、怒る、という感情が、
発露しないのですが、
ちょいとね、
カチン、とくることがあったので、
あえて書きます。
あたしは、
自分で経験し、聞き、読み、見、
そこから感じたものを、
自分の中にあるものを精一杯使って、
言葉を紡ぐ。
まあ、
たかが知れてる日記ですけれどね。
でも、なんらかの形にするからには、それが当たり前だと思うし。
人の言葉は借りない。
引用はするけれど。
全力で動く事象に対峙して、
自分の中から生まれたものを、それに全力でぶつける。
それが、相手に対しての礼儀だと思うし、
それが、あたしのやり方。
皆がそう言っているから、とか、
あの人がそう言ったから、という、自己責任の放棄的発言は、絶対にしない。
そして、
そういう思考をする人とは、きっと話が合わない。
てめえのケツは、てめえで拭けってことですよ。
自分で飯のタネも稼がずに、親兄弟や恋人に寄生したうえ、
その現状に安穏とし、
今の状況を守りたいがために、
相手を暴力(肉体的なことだけではなく、言葉や精神的なことでも)で
束縛しようとする奴は、絶対に許せん。
増して、
親だから、兄弟だから、というだけの理由で、力関係を誇張するなんてバカバカしい。
育ててもらった恩?
そりゃあ確かにあるだろうけれど、
戦う術のない子供を、守り育成するのは、家族の義務だろう。
それに、
世に出て、自分で稼いで、自分の食いぶちだけでも確保できるようになる、
それだけで、十分返してるんだぜ。
養ってもらおうなんて、甘いこと、言ってんじゃねえよ。
自分の身を、自分で守れてもいない癖に、減らず口叩くな。
人は、一人で立ってこそ、世界とも社会とも、愛している人やものとも、向き合えるんだ。
その上で、相手を尊重し、理解しようと努力し、認め合うことができれば、
扉の向こうへ、ゆけるはずなんだ。
視野を狭めているのは、なんだ?
己の思いこみや、勝手な言い分ではないのか?
自分の力を過信してはいないか?
見えている景色は、それですべてではないはずだ。
人、社会、そして自分自身に対して、疑問を持つことを、やめてはならない。
あたしだって、そんな出来た人間じゃねえさ。
今だに、毎日毎日、自問自答の繰り返しだ。
自分の感情に、振り回されることも、こんなに年くっても、恥ずかしながら、まだまだあるし。
相手の気持ちを推し量りきれなくて、無用な誤解を生むことだって、日常茶飯事だ。
でもさ、
それを、
解消できるのも、自分しかいないんだから、
自問自答は、辛いが、死ぬまで、やめるわけにはいかんのだ。
あたしの大事な友達を、傷つけることは許さんぞ。