よう!といつもの挨拶を

harikona2009-08-21

今日は
ばあちゃんと
友人の、
墓参りに行ってきました。
仕事帰り、
しかも雨降りだったので、
ちょっと怖かった(苦笑)
けど、
今年も会いに行けてよかった。


先にお花が供えてあると、
ああ、誰かが来てくれてたんだな、と、
なんとなく、繋がってる感じがして、うれしくなる。


ここにからはいなくなってしまった人だけれど、
その人が、繋いでくれた、人との縁が、ここにも。



ばあちゃんのお墓と、友人のお墓は、
函館の観光名所でもある、
異国から来た方のお墓がたくさんある地区の中にあります。
土地柄、ロシアや中国の方のお墓が多いのですが、
それぞれのお国の風土が、そのまま形になっていて、
それでいてお寺さんも普通にあったりして、
とても不思議な空気を醸し出している、場所です。



別の国からやってきて、
望んで、ここに葬られた方も、
帰国したかったのに、できなかった方も、いらっしゃったと思います。
皆さん、どんな想いを抱いて、ここに眠ってらっしゃるのかな。



異国で暮らすということは、
血や、偏見や、政治的な思惑や、時代の流れに、
不安定な足場の中で、真っ向から戦っていかないといけない、
大変な労力と精神力が必要なことだったと思います。
現代でも、今だに、
客観的に見ても、おかしな問題が山積してますし。


日本人って、
いつから、こんなに、
目の前のことにしか、考えが及ばなくなっちゃったのかな。


でも、
きっと、
皆さん、いい出会いがあって、
ここにいたい、と、
少なからず思ってくださったから、
こういう場所があるんだろうな、と、思いたいのです。



恵まれている環境が整っているのに、
それに甘えて、欲ばかりを振りかざすような人間には、
決してなってはいけない。
環境が整っていないことを笠に着て、
理不尽な要求をするのは、
ただの甘えだとも、思う。



遠く、海を臨みながら、
頭の中に響いたのは{LONG RIVER}


彼岸でも、此岸でもない、
すべてを受け入れてくれるような、おおらかな、場所が、あったのなら。
いや、
具体的な場所が、存在しなくとも、
いとしいと思える人が、そこにいるのなら、
大切だと、思える人たちが、いてくれるのならば、
すでに、そこは、
いるべき場所なんでは、ないだろうか。



過去に起こしてしまった罪は、決して消えることはないし、
その所為で、苦労は絶えないだろうと、
それに対して、どう償えばいいのだろうと、考えることもあるけれど、
私は、この人が、
この国に、いてくれて、
{GOLD}のような、数々の素晴らしいうたをうたってくれて、
そうして、出会うことができたことが、たまらなくうれしいから、
その両方の気持ちを、ちゃんともったままで、
そのうたに、向き合おうと、思うのだ。
負い目とも違う。
あるがままを、きちんと受け止めることこそが、礼儀だと想うから。



そして、
新たな悲しみは、
自分の手で、生み出してはならないと、強く思う。





墓参りの帰りに、
スペイン料理屋で、パエリヤなんぞを食らう。
スペインのビールは、意外とライトだった。
でも、
食後に頼んだカルヴァドスが、ことの他度数が高く、
さすがのあたしでも持て余した(笑)
ストレートは、無理があるよ・・・・。
とってもおいしかったけどさ(苦笑)



さあ、
早く寝ます。
明日はJRで東京入りなんで。
6時起き〜って、会社行くのとさして変わらん(泣)



でもいいの。
最高に楽しい時間が、そこには待ってるから。



友人Mちゃんにも、久し振りに会えるし〜。