ここで、顔を合わせることの意味

harikona2009-05-11

まあまあ、
順当なとこですな。


ライジング第二弾発表。


仕事がバタバタしとって、
友人からのメールで
第二弾発表を思い出す(苦笑)


出来れば、
ペースは崩したくないです。


おっさんファイブ!!降臨やん!!!(苦笑)
ま、あのー、慰安旅行的な雰囲気で来ていただければ(笑)


最近、
オリハルコンの所為か、
先にいってしまった人や、
もう二度と会うこともないであろう、大切だった人のことなどを、
ぼんやり思い出すことが多い。


失ったことを、嘆いている訳ではないのですが。


母方のばあちゃんは、とにかくにぎやかなことが好きだった人で、
正月やらクリスマスやらに親族が集まると、
そりゃあアホみたいにはしゃいで笑っとった。
つられて、集まったみんなが、わいわい騒いで、楽しかった記憶しかない。
子や孫には、無償の愛を、遠慮なく注ぐ人だった。
だからかな。
仏教でいうところの通夜的な、納棺式の時に、
親類一同が集まったのだが、
昔話の、しかもおもろな方向のものばかりで盛り上がってしまい、
泣きながら笑い転げているという、なんとも不思議な集まりになっておった。
あの時の集合写真。
遺影を囲んで、なぜかみんな笑顔(苦笑)


そういう送られ方を、あたしもされたいな。
今頃、ばあちゃん、楽しくやってんじゃないだろうか。




あたしの未熟さの所為で、酷いことをしたあの人は、
やりたいことを見つけて、邁進しているらしい。
もう、あたしのことなんか、覚えても、いないかもしれないけれど。
勝手に、ほっとしている。
・・・・何様だよ。



多分、
他の人より、出会ったり別れたりした回数的には、少ないと思うんですよ。
欲してないので。
一個一個が、あまりに大きすぎてね。
受け止めきれないんだ。
自分の中で、消化できるキャパがね、狭すぎるので。
多くを、求められるほど、しっかりした人間ではないし。



ただ。
そのひとつひとつは、全力で大切にしたい。
よたよた歩きしかできないあたしが、こうやって立っていられるのは、
たくさんの「出会い」のおかげだから。