調和

くるり「Philharmonic or die」を聞く。
そして,CSで放送された当日の模様を見る。


なにもかもが、
響き合い、
受け取り与え、
相手を思いやり、
在るべきところに居、
必要のないものは何もない。


音楽とは、
究極のコミュニケーションだと、心底思った。


大好きな曲たちが生まれ変わってゆく。
とても素敵に、かわいらしく、時には残酷なまでに、深く、重く。
どんどん表情が変わってゆく。
益々、好きになってゆく。


くるりはとても日本人であることを、真正面から受け止め、
それを誇りとしているバンドだ。
京都という、日本でほぼ一番、古い都に生まれ、
言葉、景色、四季の移ろい、日本人だからこそ嗅ぎ取れるにおい。
そういうものを敏感に、とてもデリケートに、
時としてとても乱暴に、音楽に乗せ、表現してきた。


クラシックが、何故眠たくなるのか。
それは多分、退屈だからではなく、とても心地いいからなのだと、
今になって思う。
言葉として、直接的に語ることはしないけれど、
だからこそ、音のみで、
生きること、日々の面倒なこと、同時に感じる、大きな流れ、
そういったものを、手法は違えど、雄弁に、
語りたいからこそ、鳴らされているものなんだ。
なんとなく、見た目とか作法に気おされがちだけど、
何百年という年月をかけて、その手法を編み出し、
我々の生活と、なんら変わりのないものを言いたいがために、
鳴らしているものなのだと、気づかされる。


だからこそ、
くるりとクラシックは、見事に共鳴したのだろう。
自分たちの培ってきた血を、DNAを、意固地なまでに、
表現せざるを得ない気質。


自分のこと、わかりきるなんて、出来るわけがないのだ。
今生きている体の中には、
何百年と、生き抜いてきた、何千という人生の、
悲しみや苦しみや、言いようのない無念や、
暖かさや、喜びや楽しさの結晶が、
この不肖の体に流れているのだから。


多分私は、このたくさんの想いを、先に伝えていくことはできないけれど、
それでも、
無駄にしては、いけないと思う。
今生きている、この体は、
自分が思い悩んで、やっと生きているのと同じような‘想い‘が、
何百人分、積み重なって、
やっと動かしてくれているんだと、気づいたから。


くるりの言いたいこと。
ウィーンのオーケストラと合わさったことで、
やっと理解できた気がした。


自分の抱えている、何千という想い。
抱えきれないからこそ、
同じく抱えているであろう人たちと交わることで、
なんとか昇華しようと、するのだろう。
そうしないと、壊れちゃう。
自分のためかもしれんが、
結果的に、相手のためにもなっている。
きっと、それが、調和。


繁とサトちゃんが、くるりとして、音を奏でてくれていることに、
心から感謝した。


あたしの考えすぎる思考は無視していただいて結構ですが(笑)
これは、絶対聞くべきアルバムです。
生きることを、どうも迷いがちな人ならば、
何かが、ここから、聞こえるはずです。


友人たちよ、
このアルバムは、覚悟して聞いたほうが良いぞ。
近年稀に見る、
大事なことが詰まりに詰まっているアルバムだ。

Philharmonic or die

Philharmonic or die