これから

友人の四十九日で、皆で集まる。
ガッと飲んだ。
あいつとは、飲みにいくなんてこと、ほとんどしてねえから、
面白かったのではないかと、勝手に思う。
皆、しばらく会わないうちに、
いろんな人生を送っている。
あぶなっかしくて、ホントに大丈夫なのか??って奴が、
立派に子供を育ててたり、
ある意味頼りっきりで生きてた子が、
支えを失った現実を見たり、
あいつが引き合わせた、面白い子がいたり、
変わっているようで、根っこは全然変わってねえ奴がいたり。
あたしは、どう映ってんのかな。皆の目には。


今ごろ、あきれて笑ってんだろうな。


あたしは特定の宗教はあがめてはいないが、
奴のことを思うための窓口にいた像は、
とてもおだやかで、それでいて雄雄しくて、
いい顔をしているように見えた。
面白いもんだな。
こうやって、きっかけをたくさん、故意に作って、
あいつのことを含め、
自分や世界を思うなんて、
粋なことを思いつくもんだね。昔の人は。


結局、「想い」なんだろうな。
良いことも、悪いことも、どうにもならないことに対するあきらめも、
希望も、夢も、全部、誰のせいでもなく、
ここにいる自分の、想いの先ひとつ。
外部の装置なんて、きっかけに過ぎんのだろう。
目線ひとつで、世界は変わる。


そこが、光であり、掴めない漆黒であり。
こんなあたしを、笑っておくれ。
あれから、何も変われず、何も出来ないあたしを。