嵐のように、否定、否定。
そしてすべてを許すかのような肯定、肯定。
世界とは、結局、すべて自分の中にあるものなのだ。
めざすもの、望むもの、求めるもの。
そのすべてが世界の行く末、「未来」に繋がっているのだ。


決して、見えないものでも、遠いものでも、関係のないものでも
誰かが勝手に動かしているものでも、ない。
すべて、自分の心ひとつで、どんな形にでも変わってゆくものなのだ。


なくなってしまったのも、いなくなってしまったもの。
なくしてしまったもの。
それは物質であったり、人であったり、思いであったり、心であったり。
これら「ここにはない」ものに対して、
「ここにいる」自分は、答えられるだけの「存在」となれているのか。


欲しかったのも、無いと思い込んでいたもの。
それらはすべて「ここ」に、きっと、あるのだ。
見つけられるだけの目があったはずなのに、
忘れてしまったのか、それとも自ら閉ざしているのか。


ちっぽけだけど、すべてはここにある。
そうなのだろう?


映画「オズの魔法使い」を見て、100S「OZ」を改めて聞きなおしました。
そうして思ったことが、これです。
私は、3回目は鳴らさずとも良いと思いました。
だって、どこにいようとも、その思いは変わらないはずだから。
鳴らして、帰るところなど、どこにある?
探して、求めて、見つけて、そしてまた探して。
どちらにいても、完全なんて存在しないのであれば、
ただ、思いを貫き通すだけ、だろうから。
区別なんて、必要ないのではないかな。
今いる「ここ」で何を選び取るのか。
昔から、自分の居場所を見つけるのが苦手な自分にとっては、
どちらも本当であり、また、本当ではないものであるから。
そう、「リアル」はすべて自分のなかに。


なあ?弥次さん、喜多さん?


はあ、この音たちを体全部で受け止めきれるだろうか・・・。
もう一ヶ月きったのよねー。
ツアー自体は今月末から始まっちゃうし。
まだ心構えが出来てません(泣)