望もうとも、望まずとも。

ある程度、覚悟は決まっていた。
それはきっと、スネオさんが「フォーク」をリリースし、それを聴いてしまった時点で、
無意識下で、何かしらの「変化」が自分に起こるであろうことを意識していたんだと思うが。
「変えたければ、自分で動かなきゃダメだ」
とは、スネオさんのライブでのご本人の言。
そうはわかっていても、抗えないなにかがなければ、変化していけない輩も実際いる訳で。
そんな、臆病な自分に、とうとう暴力的なまでの「追い風」で、彼の声が吹き荒んだのを感じた。
ああ、これから、何かが起こる。
実際どう作用するかは未知数だし、もんのすごいマイナスになるかもしれない。
ひょっとしたら戻ってこれないほどの闇に囚われるかもしれない。
が、変化を望まない自分にとって、これはひとつの転機なのだろう。
何も無い自分は、その本質を試される時が来たのだ。


私が尊敬し、敬愛する人達よ。
どうか、私の中に、何かを見つけるための時間をくれないだろうか?
たかだか何十年という人生の枠、尺度に縛られている人たちには、
随分と遅い歩みに見えるかもしれない。
いや、むしろ、何十年しか生きられないからこそ、
「今」を精一杯駆け抜けている人たちなのかもしれない。
・・・とすれば、やはりその結果を急ぎたくもなるのだろう。
だが、そんな人たちの見え方などはどうでもいい。
(まあ、実際問題、そんなに割り切れるものでもないけれど)
自分が愛する人たちに、顔向けできる生き方が出来るかどうか、
自分が納得いくかどうか。
そう、休暇は、終わったのだ。


久々にがむしゃらに生きてみよう。先に待つのは本当の「虚空」かも知れないが。
そんな気分です、今は。
プライドなどというくだらないものは、大分昔に置いて来たので、
その点だけは心配ないけど(笑)
さあ、重い腰を上げて、行こうじゃないか。
何もない体に、これからたくさん拾って詰め込んでいこう。
たとえ、ガラクタかもしれなくても。


私を深い深い暗闇に落としたのはスネオさんだったけど、
光が見えそうなくらい、引っ張り上げてくれたのも、やっぱりスネオさんだったよ。
やっぱ近過ぎ。このひとの歌は、あたしのこころに。