3年前かあ・・・。

テレ東「JAPAN COWNT DOWN」をボンヤリ見ていたら、
3年前のTOP10を流していた。
ちーちゃん(元ちとせ)がデビューした年だった。
この頃は、まさやん、シカオちゃん、ちーちゃんと、オーガスタばかり聞いていた頃だった。
そしたら、同時期に中村くんが「セブンスター」を出していた。
ああ!ひょっとして博愛博やってる時期だ!!
・・・・うわー・・・ショック。
ハマるとそれしか聞かなくなるタチなので、この辺りではまだ気づけなかったんだなー・・・(泣)
もったいねー・・・。
しかもリップ「FUNKASTIC」の頃だし・・・。


ちーちゃんに出会ったのは、彼女がデビューする前の年の
オーガスタキャンプに参加した模様をNHKでダイジェスト放送したときだった。
その時、ちーちゃんは、まさやんの「名前のない鳥」をまさやんの伴奏&コーラスをバックに歌っていた。
とにかく、驚いた。
まさやんの曲はどれも「山崎まさよし」のにおいが染み付いていて、他人が歌うのはもんすごく大変。
あれだけの「孤独」を歌い切れるのはまさやんだけだと思っていた。
しかも本人がギターを弾き、演奏曲はあの「名前のない鳥」。
あの拭い切れない孤独と、灰色なのに高い高い空、先の見えない空虚な悲しみ。
そして、それでも歩いていかなければならない‘業‘の深さ。
それだけのものを、あんなにちっさい女の子が全部背負ってうたっている。
しかも、「自分のうた」としてうたっている。
曲の持つデカ過ぎる空気を、完全に、そしてそれ以上に発していた。
たった一曲、ほんの4分程の映像で、あたしのココロは完璧にノックアウトだった。
放送終了直後に彼女のインディーズでだしてたアルバムを即買した。


なんだろうな。
彼女の歌声は、神に何かを伝えることを許された声なんだと、本気で思う。
別に宗教に頼りたい訳ではないけれど、
歌う事によって、何かを伝えるための‘巫女‘的なものを感じた。
うわべの繋がりではなく、直接DNAに作用するような「震え」があるんだよね。
人間が作り出した、逃げるための装置である「神」ではなく、
宇宙や自然の営みの中の「意識」みたいなもの・・・・。
そこからの人間という異質なものへのメッセージ、というか。
そういうものを表現する使命を携えた歌い手なのだなぁ、という気がして。


今はとうとう「母」という位置に立っている彼女。
これだけ大きな変化を越えて、どんな歌を歌うのか。
怖いけど、楽しみです。
自分の中ではいまだ、インデイーズで出した「竜宮の使い」を超える曲がなくてねぇ。
どれも、ほんとにスバラシイんだけどね・・・。
単純に受け入れるだけのキャパが自分に無いだけなのかもしれんがの(恥)


初ワンマンツアー‘03「初めまして」は
元ちとせという、ヤジルシの先の人と、ヤジルシの棒でしかありえない自分との‘差‘
を確認させられる、大きなイベントではありましたね。
初めて感じた、あの歌声のデカさといったら!!
言ってしまえば、歌詞の意味など、まったく関係ない。
彼女の「歌声」がすべて・・・というか。
自分が持ちえるすべての感覚に働きかけてくる、命の鼓動。
生ている生命として、奏でているリズム。
それを体験出来た、すごい空間だったなあ・・・。


一度、体感してもらいたいです。
特に野外で。
自然ととても密接なつながりがあるのでね。


また、大勢のひとに向かって歌ってくれる日が来ることを、切に願います。