祈る

被災地の状況を見るたび、
被災された方の言葉をきくたび、
どうにかならないのか、何か出来ないのか、考えている。


自分の仕事の中でやれることがあるのに上に潰されたり、
自分の力以上のことを、
できないと思い込んで無力感に襲われたり、
無関心な人間の発言に必要以上に傷ついたり、
驚くべき危機感のなさに呆れかえったり、
心ない行動をする人間に失望したり、
国や某企業の保身や利権が見え隠れする発言や、
メディアのあまりにも偏った報道の仕方に愕然としたり。


もともと、そんなに信用してなかったはずなのに、
いつからか、油断してたんだろうか。


言葉にならない重しを、
心にどんどんためこんでいるような気がする。



そうかと思えば、
現場で働いている
自衛隊や消防や警察や自治体職員や、
NPO団体や、ボランティアに参加している個人、
医師、保健師、看護師等の横のつながりを見るにつけ、
本当にあたたかくて力強くて、
こちらまで救われているような気持ちになるし、
国の不安定な施策に振り回される農家や酒造を少しでも支援しようと、
ネットで通販が盛んに行われていたり、
影響力の強い大企業や、
文化人、音楽家が、声をあげて動いてくれたり、
海外から、驚くほどたくさん手を差し伸べてくれる人たちがいたり。


人間すげえな、捨てたもんじゃねえなって思える。




毎日、毎時間、
たくさんの情報と格闘して、
提出した書類を返されたり、
実際の被災地の方と話したり、
地元の被災された方と話したり、
募金したり、支援物資を送ったりしながら、
絶望と希望の両方が、ものすごい大きさと速さで、
心を叩きつけていく。


被災された方にとっては、
あたしのこんな程度の翻弄のされ方なんて、
比べ物にならないくらい苦労されていると思うが。
という想いが、また自分をからめとっていく。



正直疲れてました。
見えなくなってた。自分が。
何ができるのか、何をしたいのか。
何を信じ、何を指標にすればいいのか。
頭ではわかっているけど、こころが、そこを納得しない。
自分の中でジレンマが生まれて、もんもんとして。






昨日、札幌でACIDMANのライブを見てきた。
311以降、USTでは何人ものライブを見ていたけれど、
実際に、生で音を体で受けるのは初めてだった。
仕事の目処がちょっとだけついたので、
あきらめてたのに奇跡的に行くことができた。
疲労と体調不良でふらふらしていて、
JRの予約をすることもできなくて、飛び込みで列車に乗った。
行くべきだという妙に追い立てられるような気持ちで。
でも、
怖かった。
オオキから、どんな感覚が溢れだすのか。
自分の中から、真正直な気持ちとして、どの想いが出てくるのか。
まったく見えなくて。


今回のアルバム「ALMA
改めて列車の中でブックレットを眺めて、
これを今聞けというのか・・・という気持ちにもなったり・・・。



いつも、彼らの世界観を、
そのアルバムの描く未来を、
完璧なまでに提示するライブを見せるチームACIDMAN
もちろん、いつだって真剣勝負。


けれど。
昨日は、あきらかに、最初の音から、こめられている意識が違った。
オオキの声が言っていた。


「俺たちには、うたを鳴らすこと、想いを放つことしかない。
そして、それが次に繋がっていくと、信じている」


あまりにも、強引で叩きつけるようなその音とうた。
複雑な感情が入り乱れた、
それでも、やるしかない、という覚悟の、張り裂けんばかりの、うた。



オオキの目指す世界は、とても大きい気持ちが必要なものだし、
表現に対する美意識も高いから、
繊細だし、プライドも相当なものだと思う。
その彼が、
こんなに形振り構わず全開で全力で鳴らしている姿は、
セカンド辺りからファンである自分ですら、初めて見た。


ギターやベースのミスタッチやら、
タイミングが噛み合ってないやら、
4曲目くらいだろうか、声張り過ぎて、喉潰しちゃって。
とても驚いたけれど、でも、もう、そんなことどうでもよくて。
今、ここで、うたうオオキと支えて鳴らすイチゴとサトマがいて、
支えるスタッフがいて、
会場を埋め尽くしたオーディエンスが手をあげていて。
命全部で、重なり合って、響き合って、
ものすごいエネルギーが爆裂していたんだ。



その只中に身を置いて、
自らも踊って、声を出して、泣いて笑って。
そうやって、やっと、
強張っていた自分のココロと体が、その音で、
ほどけていくのがわかった。


そうだな、やれること全開でやるしかねえよな。
出来なくてくやしくても、外側からなんか言われようと、
やるしかねんだ。
高くを望まず、多くを望まず、
視界を開いて、冷静に。
やっと、体でそれを、納得した、とでもいうか。


そして、
大好きな{FREE STAER}を身に受けながら、心から想ったのは、
もうこれ以上、まるで輪廻の和から外してしまうかのように
突然、命を連れて行かないでくれ、ということだった。
天災と人災が入り乱れているこの状況で、
誰に、何に祈るのか最早推し量るのも困難だが。
ただただ、そう想った。
空から降る星の光も、
地上に芽吹く、命の光も、
皆同じにこんなにも輝いて、
精一杯生きて、その姿はとても美しいのに、
これはあまりにもむごい所業だよ。
頼むよ、もうやめてくれ。



多分、これを一番叫びたかったんだろうと思う。
怒りや悲しみや憤りじゃなくて、祈りたかったんだろうな。
現実に対する実効性がなく、
無駄じゃないかと、想ってしまうこの「祈る」ということを、
あたしは一番したかったのかもしれない。
そしてそれは、オオキの思想に映すことが、
一番理解として得やすいことだったのだと、今は想う。



前半で潰した喉が、後半で復活した。
オオキは最後まで、しっかりとうたいきった。
本編最後に歌われた{ALMA}は、
この世の果てで、美しく気高く広がっていった。



巡り合わせは確実にあり、
祈りは、大きくはないかもしれないけれど、
どこかに通じるのではないか。
そう、
想うことができた。


違うな、
信じていたことを、想いだすことが、できたんだ。



夢見がちだろうが、非現実的に受け取られようが、
構わねえよ。
すべては想いから動くものだから。
その中から、実現できるもの、実行できるものを模索していくしかない。
その「想い」と「想いの方向」を、見失ってはいけないのだ。




今日のライブは、参加すべくして参加したライブだった。
素晴らしい時間だった。
オオキ、イチゴ、サトマ、スタッフのみなさん、
あの場にいたすべての人に感謝を。



そして、できるだけ多くの人が、
できるだけ早く、安らかな日々を送ることができるようになりますように。






書き足りないような気もしますしまとまっていませんが、
今日はここまで。