ここ最近

世の中に「絶対」なんてものは存在しない。
絶対的な正義。
絶対的な安全。
絶対的な幸福。
絶対的な悪。
絶対的な存在。
ないない。そんなもの。
悲観的でも、厭世的でもないです。
それが事実。


知らないでいることは、ある意味暴力に等しい。
知らずに何気なく、大したことではないと思ってやっていることが、
誰かの命を奪っていることも、実際にある。
だが、すべてを知ることは、やはり不可能だ。
ひとつの物事に、何千人という人が関わり、
利権や、金や、損得や、政治的判断だかっていう曖昧なもんや、
その人なりの正義や、切迫した生活が、それぞれにあり、
全部を公平に推し量ることは無理。


きっと、生きるということは、とてもシンプルなことだったはず。
生まれて、食べて、排泄して、子孫を残して、死ぬ。
人間が、勝手に面倒にして、勝手に右往左往している。
お互いがお互いのクビを絞めていることにも気付かずに。
多分ねえ、人間が地球汚してるなんて言ってますけど、
その汚れた環境では人間が生きていけないだけで、
地球は別に困ってないと思うんすよね。
だって、人間死滅しても、
何もなかったように、地球は存在してて、何万年かたったら、
また生物がひょっとしたら別の生態系で生まれてくるかもしれない。


まあ、そこまで言ってしまうと、
じゃあ何やったってダメじゃんってことになっちゃうんですけど。


とは言えさ、
今あたしらは現に、こうやって生きてる訳で、
多分、大抵の人はまだまだ生きていくだろうし、
結婚してる人やしようと思ってる人には、いずれ子供が生まれて、
その子らがこれからの地球で生きていくんだろうし。
だったらさあ、
末には、人間は死滅するかもしれんけども、
自分や、自分らの近親者が
ちょっとは、生きやすい地球のままで、居てほしいと思うんですよ。
今はね、自分もそこそこ動ける体で、働けてて、
飯も食えてて、好きなこともできてますけども、
これがさあ、50、60、70くらいになってね、
体力もなくなって体も思うように動かなくてさ、
階段登るのも大変だなあって思うような時に、
大気汚染の所為で、
一年中常にバカみたいに暑いのが当たり前になってたり、
日本中にある原発地震とかで、天災じゃなくても人災だったりで、
放射能汚染にさらされて(前述したけど絶対なんてないから)
それが大気に拡散して、体に障害が出たりさ、
自分は大丈夫かもしれないけど、他の人がそういう危険にさらされて、
人口どんどん減って、国としての生産能力が落ちて、
日本が立ちゆかなくなる、ってことだってありうる。


それはやっぱり困るもの。
できれば、のほほーんとばあちゃんになって老衰とかで死にたいもの。
おいしい水も、おいしいごはんも、
きれいな景色も、大切なひとたちも、
なくなったら困るもの。
じゃあさ。
やれること、やっとこうよってね、思うわけです。


むつかしい言葉での議論とかはわかりませんし、
実際の地元の方々にしてみれば、安直なこといいやがってって、
思われそうですけど、
広島や長崎に落ちたのと同じ燃料がボーボー使われてる建物が、
海を隔てたすぐそこにあるのはね、怖いですよ。
普通に火山帯の上だしさ。
地震結構頻繁にありますし。
チェルノブイリの事故も、その後のことも見てますし。
絶対なんてないんですよ、実際。


自分がやることにだって、
絶対正しいってことは、ないんですよ。
正直仕事で間違うこともたまにありますし(汗)
でも、やんないより、ましじゃねえかなって。
自分で考えて、自分で出来る範囲で、
他人の生命を脅かさない程度に、自分が責任取れるなら、
やった方がいいだろうなって。
自分を守るために。自分が大切だと思うものを守るために。
・・・必然的に小さい話になっちまうんですが。
箸持って歩いたりね、袋持ってあるいたりさ、
署名とか、募金とか、
信用できそうだな、と思う人の本買ったり、公演見たり、
信用できそうな企業のものを選んで買ったり。
一番でかいのは選挙だろうけど。近々ありますし。
そんな程度しかできないけど、
そんな程度でも、やんないより、いいんじゃねえかな、と。


やんないよりやった方がマシ、とおもう人がふえれば、
なんだか停滞気味のこのくにでも、
もちっとおもしろいことが、起きるような気がします。
ちっさいことでもね、意外と転がってくこともあるから。
ねえ。
エジプト、すごかったじゃん。
あそこで起こったことすべてを肯定はできんけど、
ひとりひとりの力で、国を動かしたのは確かだ。


人の足元すくってわーわー騒ぐより、
できることまずやります。