消滅するのではなく
愛し合ってるかい?
という言葉は、
音楽を、人を、自分を、
いとおしく思って、
大切にしてるかい?
そして、
そういう心を、感じて、
受け止めることができてるかい?
ということだと、
勝手に思っています。
夏には、きっと、
お会いできると思っていたので、
さみしい気持ちでいっぱいですが、
生きてる我々ができることは、
悲しみに浸ることではなく、めいっぱい、
音楽を鳴らして、音楽を楽しんで、全力で愛し合うことだと思う。
キヨシローさんの、生き方を見習って。
だから私は、大好きな音を鳴らす人たちに、これから、会いに行きます。
それが最後かもしれない、二度とない時間を共有しに。
明日、サダヲと圭哉の芝居を見て、東京の友人と会って、
深夜バスで仙台になだれ込んで、地元の友人と落ち合って、ユニコーン祭り。
で、
翌日仙台空港から千歳に飛んで、札幌ボノワンマン、初日。
銭湯でひとっぷろあびて、深夜バスで帰函して、そのまま仕事。
やってやれないことはない。
やらずにいられることもない。
あたしの親友は、大好きなアーティストのライブに行くことも叶わず、
長い闘病生活の末に、旅立ってしまった。
今でも、そのアーティストの曲を聞くときは、
あいつのことが頭の片隅にある。
だからといって、ライブの時に感傷に浸るのは、違うと思うから、
めいっぱい、楽しむことにしている。
その方が、あいつと一緒に、楽しんでいるような気持になるから。
自己満足かもしれんが、
失うことを嘆くことは、これから得ることを、失うことにつながると、思う。
ただ、
一緒にいられた時間を、無駄にしないように、
その想いをこの流れている今に、残すために、
受け取った自分が、めいっぱい生きていくしかないと。
でも、
そう思えない人も、いるわけで。
あの頃ばかりを想って、おぼろに生きることが、
いいかどうかは、なんとも言い難いけれど、
・・・・ただ生きることしかできなくなっている人を見るのは・・・つらいな。
結局、決着は自分でつけるしかないじゃないっすか?
何を、伝えうる言葉が、あたしにあるというのか。
とはいえ、
あいつは、きっと、こんな今の状態を、望んではいないと思うから、
前に向かって、歩を進めてほしいと、願っているのですが・・・。
次に会う時に、言えるならば、言おうと、思っている。
巡る事象の流れを受け止めるには、
多少の知識と、知恵と、判断できる確固たる自分が必要だ。
そして、
今を、大切にすること。
どうか、気づいてくださいますよう。
さて。
出かける準備をしますか。
何せ、一泊四日ですからね(笑)
備えあれば憂いなしです。
過酷な条件下で、あれだけの音とうたを鳴らしてくれた錬金術師たち。
プレツアーを経て、
さあ、
どんな景色を見せてくれるかな。
いいうた聞けたけれど、なんか、いろいろ解放しきれなかった地元ライブ(苦笑)
音に向かうときは、まっさらでいたいのに。
ちょっとね、お互い構えちゃってたところが、あったからねえ。
その意識と、もっと、混ざり合いたい。
札幌はね、もう、我慢しませんから、いろんなことを。
あたしはこれから、どれだけ呼吸をしていられるのだろうか。