生で見たい。

シアターテレビジョンで放送された、阿佐ヶ谷スパイダース「ともだちが来た」を見た。
鈴江俊郎さんの作ったものは随分前に蜷川さんが演出した「零れる果実」以来。


意外とロマンチックだったな。
死に対するあこがれっていうんでもないけど、死ぬことは終わりではなく、
意識・・・意志は続いて行くような終わり方だったので。
伊達くんが逝ってしまった方なのがよかった。
なんでかな?死んでるって言われて納得しちゃったし。
そういう意味では、あの場にいること自体には違和感があって、すごいなと思った。
生きている側の人間に聞こえる水の音って、常にココロのどこかにある
死への恐れ、みたいなものなのかな?
もしくは生への苛立ち?
無意識下で鳴っている通低音・・・。みたいな。


生きていた証を残したい、と人は思うものなのだろうか?
自分は今がとても大事だし、今出来ることは出来るだけしたいとは思うが
死後については、何も残して行きたくはないけどな。
世界は生きている人間で回っているものだからね。
生きている人間が生かせるような、残せる財産(知識なり、思想なり)もこれといってないし。
・・・まあ、そんなことを考えた。
残された側の気持ちみたいなものはあまり考えなかったな・・・。
なんでだろ?


阿佐スパ、好きなんだけど、まだ一度も生で見れてない。
大人を優先すると、どうしても時期がずれてしまう。
やっぱり生で見ないとなあ・・・。う〜ん。